■「放浪の天才数学者エルデシュ」 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳):草思社(刊)
どこにも所属せず、定住地を持たず、古びたブリーフケースには替えの下着とノートのみ。
世界中を放浪しながら、一日十九時間、数学の問題を解きつづけたという伝説の数学者、ポール・エルデシュ。
四大陸を飛びまわり、ある日突然、戸口に現れて言う。「君の頭は営業中かね?」
八十三歳で死ぬまでに、発表した論文は1500、有史以来どんな数学者よりもたくさんの問題を解き、しかもそのどれもが重要なものであったという。
悩める奇才ゲーデルを励まし、アインシュタインを感服させたエルデシュ唯一のライバルは、美しい証明を独り占めしている「神さま」だけだった。
子供とコーヒーと、何よりも数学をひたすら愛し、史上最高の数学者にして宇宙一の奇人。数学の世界をかくも面白くした天才のたぐいまれなる人生を描いた本。
実話です。
「博士の愛した数式」小川洋子(著)の主人公のモデルと思われる。
こんな人生を歩んでみたい。
「放浪の天才数学者エルデシュ」
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●「博士の愛した数式」は記憶時間が80分の数学者と家政婦とその息子の心暖まる話。
この年末年始に超おすすめの面白い小説です!!
1990年の芥川賞受賞以来、1作ごとに確実に、その独自の世界観を築き上げてきた小川洋子。
事故で記憶力を失った老数学者と、彼の世話をすることとなった母子とのふれあいを描いた本書は、そのひとつの到達点ともいえる作品である。
現実との接点があいまいで、幻想的な登場人物を配す作風はそのままであるが、これまで著者の作品に潜んでいた漠然とした恐怖や不安の影は、本書には、いっさい見当たらない。
あるのは、ただまっすぐなまでの、人生に対する悦びである。
家政婦として働く「私」は、ある春の日、年老いた元大学教師の家に派遣される。
彼は優秀な数学者であったが、17年前に交通事故に遭い、それ以来、80分しか記憶を維持することができなくなったという。
数字にしか興味を示さない彼とのコミュニケーションは、困難をきわめるものだった。
しかし「私」の10歳になる息子との出会いをきっかけに、そのぎこちない関係に変化が訪れる。
彼は、息子を笑顔で抱きしめると「ルート」と名づけ、「私」たちもいつしか彼を「博士」と呼ぶようになる。
80分間に限定された記憶、ページのあちこちに織りこまれた数式、そして江夏豊と野球カード。
物語を構成するのは、ともすれば、その奇抜さばかりに目を奪われがちな要素が多い。
しかし、著者の巧みな筆力は、そこから、他者へのいたわりや愛情の尊さ、すばらしさを見事に歌いあげる。
博士とルートが抱き合うラストシーンにあふれるのは、人間の存在そのものにそそがれる、まばゆいばかりの祝福の光だ。
3人のかけがえのない交わりは、一方で、あまりにもはかない。
それだけに、博士の胸で揺れる野球カードのきらめきが、いつまでも、いつまでも心をとらえて離さない。
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vol.123